2013年11月01日

太閤検地

  封建社会は、領主が武力や法律で農民をおさえながら農民から年貢をとりたてるところに根本のしくみがあった。領主の重点は、どこまでも年貢を確実にとりたてるということにあり、そのための基礎になったのがまえにもふれたように検地であった。江戸時代の租税は今とは違って、個々の人間にたいしてではなく、村を単位として課せられた。太閤検地で述べたように、土地の面積をはかり、地味その他を考えて土地の品等を定め、石を単位に一反歩当りの玄米の標準収量としての石盛(斗代)を公定し、品等別にそれぞれの田畑の面積に石盛を乗じて石高取り米)を得、それを一村内総計して村高を算出した。年貢はこの村高を基準にして賦課せられた。(「生駒史誌 V」より) <こうして検地は、土地所有形態を革新していった。>