2015年12月24日

<問18> 生駒に「桃源郷」があった!

 江戸時代前期を代表する諸学問の学者であった貝原益軒は紀行家でもあり、その紀行文の1つに「諸州めぐり南遊紀行」があります。この中で、益軒は要約すると次のように記しています。
 元禄2(1689)年、京を出発。山城・河内の国境たる洞ヶ峠を通り、河内の国私市を経て、文字通り天上の天の川のごとく白砂の川原が続く天の川(天野川)を遡り、船形の巨岩が横たわる奇境なる岩船(磐船)に至る。そして、その岩船から続く数百mの山峡を抜けると、大きい谷に広がる里に出た。ここは田原といい、その中央を流れる天の川の東を東田原といい大和の国で、川の西を西田原といい河内の国であるが、この山間の幽谷の中なる田原の里は、あたかも、「桃花源記とうかげんき」で描かれた、両岸に桃の花の林が続く川を遡ってたどり着いた川の源の山の向こうにあった理想郷(桃源郷)のようである。
 このように貝原益軒は、東田原(現生駒市北田原町)と西田原(現四条畷市の下田原)はあたかも桃源郷のようであると賛美していますが、それでは、桃源郷の由来をなす「桃花源記」を著した中国六朝りくちょう時代を代表する文学者はだれでしょう。次から選んでください。

    白居易  杜甫  李白  陶淵明

 解答・解説
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。