2014年02月22日

<問16>の解答・解説

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解答> 長弓寺

解説>長弓寺の三重塔は、1279年(鎌倉時代)に建てられた本堂(国宝)とほぼ同時期(1285年頃)に建立されたが、早い時期に二層・三層部分を失い、近世には初層(一階)部分のみしか残されていなかった。その初層部分も、1934(S9)年の室戸台風で倒された木の直撃により本堂の屋根が大破した際、その修理費用を捻出する為に売却され、奈良の宮大工により鎌倉へ移建され補修されて「長弓堂」と名付けられたと伝えられる。戦後、西武グループの創始者の手に渡り、1954年、前年に開業した品川プリンスホテル(1978年に隣接丁目に開業の同名ホテルとは別ホテル)の庭に再移築され、「観音堂」と名付けられた。その後、同ホテルは1968年に高輪プリンスホテルと改称され(さらに2007年にはグランドプリンスホテル高輪と改称)、1971年には建て替えられた。その際、同ホテルの庭は、皇居新宮殿なども手がけた作庭家の故楠岡悌二氏により約2ヘクタールに及ぶ大庭園として整備され、日本庭園と名付けられた。

 同ホテルの敷地内(港区高輪3丁目南西部一帯)では、1982年にグランドプリンスホテル新高輪、1990年に国際館パミール(コンベンション施設)、1998年にザ・プリンス さくらタワー東京(高層ホテル)が建てられ、グランドプリンスホテル高輪とともに広大なホテル・コンベンションエリアを形成した。これが、プリンスホテル高輪エリアであるが、その中心となったのが日本庭園であり、さらにその中核をなしているのが、周囲には滝を持つ大きな自然池茶寮さりょう(惠庵)(昭和の名建築家故村野藤吾氏の設計による1985年築の純日本様式の数寄屋造り)・鐘楼(1656年に建立されたもので1959年に奈良市の念仏寺より移築)・茶室(竹心庵)、正面には山門(来歴不明確)、といった日本の自然美・伝統美を配した「観音堂」である。

 「観音堂」の内部に立つ四天柱(周囲の4つの柱)には壁画が描かれており、その中央には「十一面観音半迦(踏下)像」(写真/室町時代の作以外の来歴不明/十一面観音半迦(踏下)像の説明)が安置されている(観音像が安置されている御堂みどうだから「観音堂」と名付けられた)。

 人々に慈悲をもたらす観音像を安置する「観音堂」と、それを取り囲む日本庭園は無料で開放されており、国内外から東京にやってくる人々や東京という大都会に労住する人々の癒しと憩いの場所となっている(最寄駅等の地図アクセス)。

 <追伸>Wikipediaの長弓寺の項には、日本庭園に配置されている鐘楼と山門も長弓寺から移築されたものだと記されているが、グランドプリンスホテル高輪に問合わせた限りでは、それは確認できなかった。

 <追伸>参考・・・動画「雨の長弓寺(18.6.29)<奈良、時の雫 17 >

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