2014年02月27日

<問14>の解答・解説  

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<解答> (1)一休(一休宗純)   (2)徳川家康   (3)天誅組   (4)鳥羽・伏見    (5)おかげ

<解説>


(1)の問題のことについて  一休さんの通い路(「生駒の古道」<紹介記事報道資料 ↓ 表紙>より)

13生駒のい古道 表紙.jpg

(2)の問題のことについて

 <1>「家康の三国境・伊賀越え」
  @その経路

  A三国境を駆けた家康の逃避行(上記「生駒の古道」より)


(3)の問題のことについて   奇兵隊<wikipedia> 天狗党wikipedia 天誅組wikipedia 赤報隊wikipedia>  伴林光平wikipedia>   [美しき日本] 奈良 天忠組   なら再発見 天誅組決起150年−夢破れた「皇軍御先鋒」   問題文に記載した地図では、北佐越付近の磐船街道は天の川より少し高いところを通っています。今よりずっと以前は、汀線ていせん・みぎわせん(海面・湖面・川面と陸地との境の線)はそのあたりだったのです。だから、大阪湾よりやってきた船は、天の川源流にある、海の神を祀る住吉神社付近まで来ることができたのです。

(4)の問題について   戊辰戦争wikipedia  鳥羽・伏見の戦い<wikipedia>   いこま歴史散歩の1968(慶応4)年の欄には「鳥羽伏見の戦い起こり、砲音聞こえる。」とあります。

(4)・(5)の問題について   奈良から伊勢への伊勢街道はこのルートマップをご参照
  

(*)昔の街道について
 @昔の人は行き先をもって街道名としました。奈良へ(奈良街道)、伊勢神宮へ(伊勢街道)、吉野・大峰へ(大峰街道)、高野山へ(高野街道)。そして、それらすべての街道は熊野参詣道さんけいみち(↓ 下図参照)につながっていたので熊野街道ともいいました。生駒北部の主な道も奈良街道・伊勢街道・大峰街道・高野街道、そして熊野街道と呼ばれていました。
 ➁昔の旅人は「1日に歩く教理は平均して約34.1キロ、平均して1日10時間程度歩いていた」とのこと(ご参照ミラー)。  
 B「江戸時代・・・・・街道は伊勢参りの人々でにぎわった。伊勢参りをはじめ寺社参詣(さんけい)が理由ならば、旅も簡単に許されたのだという。」(この文章ミラーより)
 ➃古くは、すべての道は熊野に通じ、「蟻の熊野詣もうで」と言われるほど全国から大勢の参詣者が切れ目なく熊野に訪れたと伝えられています。

14熊野本宮観光協会〇.jpg