2015年06月29日

<問15> 神話の里(その2)

 日本書紀には、次のような「国生み神話」が記されています。
 男女二神は、8つの洲しまを生んだ。これによって大八洲国おおやしまのくに多くの洲からなる国、または、8つの洲を元とする国の意で、日本の異称)という名が起こった。次に海を生んだ。次に川を生んだ。次に山を生んだ。
 この神話は、次のような、人は洲から内陸に向かうという、この神話をつくった人々の国土観を伝えています。
 すなわち、縄文時代の末から海の向こうより船に乗ってやって来た人々は、まず8つの洲しまに住み着いた。次に、その周辺の海を、更には遠くの海を自分たちのものにしながら各地の海辺に活動拠点を設け、そこより山麓・山中の川を遡り、その沿岸沿いに居住・農耕などの活動範囲を拡大していった。このようにして、後に日本と呼ばれる国土が形成された。なお、当初、新しく日本にやって来た人々が居住・活動できる場所としては海辺や川沿いの段丘はありましたが、のちの平野部分はほとんど海水で覆われていました。つまり、日本列島は島と海辺と川と山だけだったので、「国生み神話」には平野(平地)を生んだという表現はありません。なお、魏志倭人伝に「倭人は帯方の東南大海の中にあり。山島さんとうに依りて国邑くにむらをなす」となっているように、卑弥呼の時代(弥生時代後半)になっても、「山島」(山が海ぎわまで迫っていて平地に乏しい地形)と呼ばれる地形が日本の地形でした。
 ところで、大八洲国という名の起こりの8つの洲とはどこでしょう。日本書紀本文では、淡路洲あわじしま(現淡路島)、億岐洲おきのしま(現隠岐島)と佐度洲さどのしま(現佐渡島)という双子の島、大洲おおのしま(現周防大島/洲を「クニ」と読んで大洲おおクニ=大国=出雲、とする説もあり)、吉備子洲きびのこしま(古代は島だった現児島半島)の4洲(双子の島は1洲として)と、豊秋津洲とよあきつしま(本州、または本州にあった洲)、伊予二名洲いよのふたなしま(四国、または四国にあった洲)、筑紫洲つくしのしま(九州、または九州にあった洲)、越洲こしのしま(越前〜越後にあった洲)の4洲を記しています。うしろの4洲の比定地については、これまでは信頼できる定説がありませんでしたが、豊秋津洲とよあきつしまについては、最近、下に掲載した4つの地図(クリックで拡大できます/各地図の出典は、解答・解説に記載)などに示された古代の畿内きない大和・山城・河内・摂津・和泉)の地形の変化を考慮した結果、豊秋津洲を、海に浮かぶ島から大阪湾に突き出た島状の半島に地形を変化させてきた現生駒市に比定する説が出されています。この説に従えば、まさに生駒は日本国土の根(ネ/根本・基礎)だということになります。
吉本隆明「ハイ・イメージ論」第3図表示付きhighimagetizu.jpg

地図 浮かぶ生駒山地 次期入り.jpg

海面が+60mだった頃の生駒市 年代入り○.jpg

古代の鍵を握る奈良湖53 時代入り〇.jpg

 このように注目される「国生み神話」において、大八洲国の名の起こりの8つの洲しまと海・川・山を生み出した女神とは誰ですか。次から選んでください。

   アマテラス(天照大神あまてらすおおみかみ)  ツクヨミ(月読命つくよみのみこと)  アメノウズメ(天鈿女命あめのうずめのみこと)  イザナミ(伊弉冉尊いざなみのみこと

 解答・解説